「昔、昔のその昔、この福浦の里に、海人(あま)の太郎さんと言う漁をなりわいとする若者がいたそうな。その太郎さん、ある日の漁を終えた帰りのこと、渚(なぎさ)近くの龍宮の鼻と言う大岩の付け根で、、傷付いて苦しんでいる海亀に出会ったそうな。太郎さんはその海亀を哀れに思い、家に連れ帰り、七日七晩、介抱したところ、七日目には、海亀はすっかり治り、再び太郎さんは、海亀を龍宮の鼻の場所に連れて行ったそうな。「さ、亀さん、海へお戻りなさい。」すると海亀、「太郎さん、本当にお世話になりました。そのお礼に、とても良い場所にお連れします。」海亀は、太郎さんを背中の甲羅に乗せると、海の底のそれは美しい城に連れてゆき、その城の主である、龍王様に引き合わされたそうな。そして龍王さまは、「太郎さんとやら、私の家来の亀さんが大変にお世話になりました。そのお礼に、この龍宮城で、存分に楽しんでいかれてください。」太郎さんの前には、ご馳走がたくさん運ばれて、龍王さまの王女である美しい乙姫さまが、美味しいお酒を注いでくれて、鯛やヒラメや、海の生き物達が、面白おかしく、舞踊りを見せてくれて、太郎さんは月日の経つのも忘れて、楽しまれたそうな。そして、そんな日々に、ふるさとの福浦の里のことが気になってきた太郎さん、乙姫さまに、「お姫様、そろそろ、里に帰らせていただこうと思います。」すると乙姫様、「いつまでもいてくだされればよろしいのに。。それならば、こちらへ。」と太郎さんを龍王さまの前に連れて行ったそうな。龍王さまは、太郎さんに「これを差し上げましょう!」とそれは美しい箱を授けてくだされたそうな。乙姫様「太郎さん、これは玉手箱といい、中にはあなた様の役に立つものが入っています。どうかお役に立ててください。」と言われたそうな。その玉手箱を手にした太郎さんは、再び亀さんの背中に乗って、福浦の里に帰ってゆかれたそうな。里に帰ると、村人達が太郎さんのもとに集まってきて、「太郎さん、随分と長い間お留守でしたね。一体どこに出かけておられたのですか?」すでに数ヶ月の月日が流れていたそうな。太郎さん「いえいえ、亀さんに案内していただいて、海の底の龍宮城で、それはそれは良い思いをさせていただきました。」すると、もう一人の村人「そうですか、あの世に聞く龍宮城ですか。。ところで、太郎さん、その手にもたれた美しい箱は何ですか?」「これは、玉手箱と言うもので、龍王さまと、王女さまの乙姫さまからいただきました。」「中には何が入つているのですか?」すると、太郎さんは玉手箱を開けてみたそうな。中には、巻物が入っており、スルスルと紐解いてみますと、すなどりのわざ、つまり魚釣りなど、漁の秘法が、たくさん記してあったそうな。太郎さんは、その巻物に記された漁の秘法を、里の若者達に教えたそうな。しかし、一つの秘法を教えるのに、一年かかり、四百五十の秘法が記されたその巻物の全てを若者達に教えるのに、そう、ちょうど四百五十年の歳月がかかったそうな。そうこうする内に、さすがの太郎さんも、よる年波には逆らえず、ついに、四百七十歳の天寿を全うされたそうな。太郎さんは旅立つ時に「この巻物に記された、すなどりの秘術が、他の村里に奪われないように、私が住んだ家の下の地中深くに埋めてください。」と言い残されたそうな。里の海人の若者達は、太郎さんの言いつけ通り、巻物を太郎さんの家の下に埋めたそうな。そして、太郎さんが助けた亀さんは、太郎さんが死んでしまわれたことを悲しんで、泣き暮らして いるうちに、そのまま石になってしまったそうな。 その石は、今、子之神社の境内にある手水鉢で、巻物を埋めた場所には、今は龍宮社が建てられ、年に一度、太郎さんと亀さんをお祭りする、龍神祭が行なわれているのです。 そして、福浦の古くからのことわざ「この村に過ぎたる宝、三つありき、お宮にお寺に虎の巻」の虎の巻とは、太郎さんが龍宮城から持ち帰った、あの巻物のことなのだといわれているのです。」




 龍宮鼻(根崎) (大正12年9月1日、関東大震災にて崩壊)
浦島太郎が亀と出会ったと言う龍宮の鼻。龍宮城の入口とも言われ、名勝として知られ、大正時代には、映画撮影の場所ともなったが、大正12年の関東大震災で、その勇姿を消した

手水鉢 
浦島太郎を乗せた亀が石に変化したと言う大岩

 龍宮社
浦島太郎が、龍宮城から持ち帰った、玉手箱を納め、浦島太郎と亀の霊を祀る、龍宮社

龍宮社脇・亀塚 


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